株式会社イタリー亭 会長 宮本長様にお話しをお伺いしました。
?熊本店を出すまでの経緯を教えて頂けないでしょうか?
昭和55年 イタリー亭(山鹿市 13坪の店)を妻とオープン
昭和59年 法人設立 移転オープン
昭和62年 イタリー亭の隣にアネックスを増築チェーン展開開始
平成13年 熊本岩田屋(現 県民百貨店イタリアンレストラン「タント・ヴォーノ」和食、生そば処「信州」オープン
平成12年?18年 ジャスコに6年契約で店舗出店(6店舗)
平成18年 リストランテミヤモトオープン
平成18年 山鹿本店新装開店オープン
平成23年 熊本に本社移転オープン
今までイタリー亭出店から32年妻と一緒にここまで築きあげてきましたが、今回の熊本店から妻を常勤から非常勤にし、事実上引退となりました。
今まで散々妻を使い、約60年分くらい使ってきたかな。60歳で家内を引退させる、これが私の夢でした。
先日のパーティでみなさんに紹介させて頂いたことですが、この歴史の中で1つ誇りに思っていいことがニッポン工業が1つのお店を開業から最後の店まで全てを手掛けたということ。会長、西山さんの時代に始まり、吉田くん、岩井くんと若い世代に交代しつつある中、全ての店を手掛けてもらったこの縁は本当にすばらしいこと。
これはニッポン工業にとっても、もう二度とないことだと思います。
?どうして熊本へ移転されたのですか?
60歳で本店を熊本へ移転することは平成18年から決めていました。
理由は3つ。 1つめは、後継ぎのため。息子の健真(リストランテミヤモト オーナー)に社長業を教えるため。
今息子は、1つの店のオーナーシェフとして頑張っているが5年後にはイタリー亭グループの社長になってもらわないといけない。
2つめは、息子のライバルとして。自分にとっての最大のライバルは己ですが、息子のために。近くにくることで息子にも自分にもよい緊張感が生まれるため。
3つめはその他。平成18年以来、グループ起業が熊本中心となり、熊本にいなくては不便だったため。
グループのやりよう自体がコンセプトなので一言で表せない。
地産地消で息子が賞を頂いたが、イタリー亭はずっと地産地消を実践してきたから私が語らなくてもいいかな。
毎日満席にならなくてもいい。ここにくるといいものが食べられる、そして安心できる大人のお店になればと思います。
?イタリア料理を始めたきっかけは何ですか?
どのようにして学ばれたのですか? 東京でコック見習い(17歳)コック(21歳)社会貢献のためという人がいるが、
生活のため、自分のために。一生懸命した結果、社会に貢献できていればいいんじゃないかな。
一番自分に向いていたのが料理人で夢は実業家になること。店を始めた当時はどんな風にいて店をにぎわかすかで必死でしたね。
?売上が落ちた時というのはないのかもしれませんが、
もしそういう状況に陥った場合の対処法などありましたら教えて頂けないでしょうか?
獅子身中の虫という言葉を聞いたことはありますか?百獣の王ライオン、どんな動物よりも強いと言われているけれど体内にいた1匹の小さな寄生虫にやられるという諺。
他責にしても答えはでない。よく時代は変わった、環境は変わったというけれど世間のせいにしてはいけない。
自分不足は何だったのだろうかという自己分析が必要です。自分自身を分析できないのであれば人に聞けばいい。
それか魅力が足りないのか。主な原因として内部分裂、社長の動きに問題がある場合が多いですね。
イタリー亭本店 みやもと
熊本市上通町5-2
第三クマモトミヤモトビル1F